第63回 関東地区高等学校PTA連合会大会 神奈川大会

平成29年7月7日(金)8日(土)
関東地区高等学校PTA連合会 神奈川県立高等学校PTA連合会

第5分科会 コミュニケーションとPTA

1部 2部

「これからの社会を生き抜くためのコミュニケーション能力とは何かを学び、心ふれあうひとづくりを推進する」

講 師
東京工芸大学 芸術学部 教授 大島 武(オオシマ タケシ)

葛山:皆さん、そろそろ後半を始めたいと思いますので、ご着席をよろしくお願いいたします。先ほど外のロビーで大島先生の著作物をご紹介してますが、買えなかった人、終わった後もしばらく対応していただけるということですので。

大島:それでは後半の部ということでお話をしていきたいと思います。コミュニケーション上手になるためにということで、先ほどはしゃべり方ですね。分かりやすい話の仕方みたいについて話しました。ですけれども一方で、上手な話の聞き方というのもあるかと思います。

 そこで、私が一番大事だと思うのは、人の話を聞くときに、やっぱりまじめに聞いているよっていう何かサインがあるといいですよね。例えばうなずくとか、目でちゃんと合図するとか相づちを打つとか、何か言葉を挟むとかですね。よくテレビのドラマなんかで夫婦が会話をしていて、奥さんが一生懸命に話し掛けていて、夫が何かぶっきらぼうに対応していて、奥さんがぶち切れて、「ちょっとあなた聞いてるの」とか。よくありますよね。あれは私に言わせると夫のほうが悪いですね。ぶっきらぼうなだけで、もしかしたら聞いてたのかもしれません。でもやっぱり聞いているなら聞いてるでサインが戻ってこないとコミュニケーションが完結しませんので、奥さんのほうの不満がたまるということです。

 私は今年で結婚して28年目になりますが、一応プロなので、奥さんから「聞いてるの」って言われたこと一度もないですね。もうコクコクですね、はい。ありがとうございます。あんまり、奥さんネタはね、ちょっとなかなかあれなんですが。もう1つ言わせていただくと、高校の同級生の奥さんと結婚したので、神奈川県の高校なんですけどね。僕と同い年なんですよ。だから、皆さん多くの方よりはたぶんちょっと年上ですね。最近、妻もだいぶ体調が良くなったのですけど、ちょっと体調悪い時期があって、婦人科の男性の先生でずっと昔からね、お世話になっている先生がいて、その先生のところに体調不良をよく訴えに行ってたいんですけど、その時に例えば奥さんが「先生、最近ちょっとね、なんか体がなんかぼーっとする感じで、午前中はちょっと頭が痛くて、午後は元気なんですけど、夕方はまだなんか頭痛くて」とかいっぱい言うんですよ。そうするとね、婦人科の先生何て言うと思います? 「大丈夫ですよ、大島さん」って言うんだって。「この前、なんかここ」、「ああ、大丈夫、大丈夫」。「この前」、「ああ、それも大丈夫」って言う。

 でも、この婦人科の先生の気持ちも分かるじゃないですか、皆まで言うなと。俺はプロだと。今あなたが訴えているのは典型的な更年期の女性の症状だから何の心配も要らないんだよって先生は言いたいんです。だけど、うちの奥さんの立場に立ってみてください。やっぱり生まれて初めて自分の体に変調が出たら、先生に細かいとこまで聞いてほしいじゃないですか。だから、それ聞いてもらえないことにやっぱすごく不満で、ずいぶん悪口聞かされましたよ、ほんとに。でもこれってね、私たちみんながやっちゃう可能性があるんです。人間って人生ベテランになってくると、相手の話の先が読めちゃうことがあるでしょ。

そうすると聞き方が雑になるんです。

 例えば大学生がよく僕のとこにね、「僕、新潟出身なんですけど、ちょっと実家の母の調子が」とかいろいろ言うんです。「ああ、大変だね」。途中で気付きます、「ああ、これは単位が欲しいっていう話だ」。だけど、そこでですよ「お前どうせ単位の話だろ」って言ってはやっぱり駄目なんです。やっぱり今、彼は家庭事情を一生懸命しゃべってるから、「それはちょっとお母さん心配だね」って。で、結局、単位の話になるんですけど、聞くのも仕事のうちね、やっぱり。相手がしゃべっているうちは全部聞く。皆さんもお子さんが何か言っている、「ああ、分かった分かった」とか、話の先が「あんた、あれの話でしょ、また」ってなるけれども、一応聞くのも仕事ですよっていうのを言っておきたいと思います。

 それからメッセージの交換頻度を高めること。賛同できないときもいったん受容すること。これYES, but法といいます。相手の話を聞いたときにいったんYESで受けるんですね、しかしながらその後butで返す。これがYES, but法です。

 このYES, but法というのは、私が講演でしゃべると、結構クレームが来やすいのです。すごく丁寧な方にこんなふうに言われました。「今日は先生、とっても楽しい講演ありがとうございました。すごく良かったのですけど、1つだけ、せっかく教えていただいたのですが、YES, but法って、相手の意見と違っても一回YESで受けるっていうやつね。あれはちょっと違うなって私は思うんですよ。考え方としては美しいと思うんですけれども、私なんかお客さま相手の商売してますでしょ、お客さまにうっかりYESなんて言ったらお客さま期待しちゃうじゃないですか。さんざん期待させといてからbutで奈落の底へたたき落すようなこととてもできません。やっぱり駄目なことは最初からNOって言わないと」。ね、どうですか。そうかもね。

 でね、YES, but法のYESというのは相手の意見に半分賛成っていうYESじゃないんです。これは受容です。あなたがあなたのお考えでそのようにおっしゃったのを私は今十分承りましたっていうYESです。受容です、引き受けてます。それで、よく考えたんですけど私の意見は違いますっていうのがbutです。必ず一回相手の意見を受けてくださいね。よく、小さなお子さんのいるお母さんの講演なんかで、子どもが何か悪いこと言ってきて、「ああ、なんとかちゃんがけがしちゃった」ってお母さんに言ってきて、「あんた何やってんの」ってすぐ怒っちゃ駄目ですよね。すぐ怒ったら子どもはお母さんに都合の悪い話をしなくなるから、悪い話を聞かされたときほど、「ちょっとよく聞かして」って言わなきゃ駄目でしょ。

 皆さん、お子さんが大学行かずに日本全国を旅したいって言ったらどうしますか。YESで受けられますか? 「とんでもない」って思ったら思ったほど、まずは話をよく聞いて。「何であんたそういうふうに思ったの、ちょっと聞かしてよ」って言わなきゃ。「ふざけたこと言ってんじゃないわよ。さっさと勉強しな」って言う前にやっぱり、日本全国を旅したいってその子が思ったのなら、その思った思いがあるわけだから、それを聞かないことには話が始まりません。どんな話聞かされても一回受け取る。「ああ、あんたは今そういうふうに思ったんだね」って受けることがとても大事だということです。門前払いしないでください。

 表現技術を磨く、アイコンタクト。目は口ほどにものを言います。私の高校時代に名物教師がいまして、その先生の名前は、名前っていうかあだ名ですね、数学の先生だったんですけど、あだ名がセミでした。セミね、昆虫の。それで、その先生は何でセミっていうあだ名だったかというと、授業中ね、生徒のほうを一切見ない先生なんです。で、どうやって授業をするかっていうと、これが黒板だとすると黒板にくっ付くんですね。それで、書きますね、いろいろ。そして、そのままでしゃべっています。「ここで積分するときの注意として、まず積分はこうだよね」みたいな。で、ずっと黒板にへばり付いたまま授業をしました。その姿が、まあセミのようだったんですね、木に止まる。それで、私の高校70分授業だったんですが、70分間誰も聞いていませんでした、セミの授業。セミは一生懸命、授業していたんですけどね。でも、やっぱり人間って不思議なもので、同じ部屋で同じ空気を吸って相手が言葉を発していても、自分のほうを見てないなあって思うと、やっぱり人間っていうのはね、自分が働き掛けられいてる気分にならないのです。

 私は割りと皆さんのほう見ながらしゃべるでしょ。これ職業病なんです、すみません。そうしないと学生寝ちゃうから。ギロギロ見ます。君に話し掛けているんだよっていう感じで授業しないと大学生は眠くなってしまうのでアイコンタクトはとても重要。アイコンタクトは、まあ、さまざまな非言語表現の中でも最強の力を持っていると言われています。皆さん、目力でね、相手にメッセージを与えてください。

 アイコンタクトと並んで重要なのが笑顔ですね。スマイル。で、笑顔が大切って、まあみんな言いますけども、なぜ大切なんだろうって考えると、こういう概念があるんですよ。「好意の返報性」。好意の返報性、返報性っていうのはお返しをしたいとか、バランスを取りたいという心理のことをいいます。で、心理学にはよく出てきて、人間は自分に対して好意的な人に好意を感じやすいんです。それは無意識のうちに好意的な人に対しては自分も「好意的に接するべきだ」みたいな心理作用があるのですね。だから好意的な人には好意で返すし、その人をいい人だと思いやすい。これは社会心理学の分野でさまざまな実験があって証明されています。

 そこで、その好意を表すものがスマイルトレーニングですね。私、企業の新入社員の研修とかやらせていただくときにはね、中身を任されてるときはビジネスマナーを4時間やって、1時間スマイルトレーニングをやります。もうニコッとする練習だけ。「はい、じゃあ左の君ニコッとして、目が笑ってないよ。もうちょっと口角上げて」とかやります。新入社員は驚くほど一生懸命やります。あんまり盛り上がんないのはね、新任管理職研修ね。新しく部長さんになった50代男性を10人並べてニコッとさせると相当異様な雰囲気になります。あと、やっぱり皆さん結構偉い方なんで「ニコッとしてください」と言うと、「そんなわざとらしいことはできませんよ、先生。」とかね。

 ここで、皆さんに強調しておきたいのはSmileというのは本質的にわざとらしいものだということです。私たちは実はSmileはわざと作っていることのほうが多いんです。Loughは違うでしょ、Loughっていうのは笑っちゃうことです。自分の中に笑いのマグマがたまると、それを外に出さないと苦しい。皆さんもご経験あると思います。今ちょっと笑うと、むしろ失礼な場面でツボに来るとくーってなるじゃないですか。あれがLoughです。例えが悪いけど、お手洗いで用を足すようなのがLoughです。

 一方のSmileはどうでしょう? 微笑まないと苦しいなんていうのはないですね。もちろん私たちはかわいい小動物を見たり、赤ちゃんを見たときに、自然に顔がほころぶことはあります。でも、私たちの笑顔の数を仮に数えると、実はそんなことを研究する人もいるのですけれども、私たちは実は笑顔はわざと作っているほうがはるかに多いんですよ。今度、疑う人は数えてみてください、朝から。今日何回ニコッとしたかなって。絶対わざと作ってるときが多いから。別に面白くもないのだけど、職場なんで「おはようございます」。PTA、「会長お久しぶり」。ね、笑顔作っていますから。上手に作るSmileは人間関係を豊かにします。

 表現技術の3番目、ビジュアルも大事ですね。人間は五感を持っていますね、皆さんご存じですね。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚。第六感を信じてらっしゃる方もいるかもしれないけれども、基本的に私たちは感覚器官が5つ、目、耳、鼻、口、皮膚、その5つから情報を取り入れて脳の中で認知しています。で、この5つの感覚機関はどれもとても大事ですよね。例えば私なんか食べるのが大好きだから、味覚が失われたら、なんかもう人生の喜びは終わりだみたいに思っちゃうし。聴覚も大事です。嗅覚も大事です。だけど、情報量っていう観点からすると、私たちは非常に多くの情報を目から仕入れています。そこに書いたかもしれないけど、耳は10%。われわれは情報を8割方目から仕入れているんですね。そのこともちょっと確認しておきたいと思います。

 さあ、参加型なのでまたちょっと皆さん、私とお付き合いしてください。よろしいですか。残り30分ほどです。ちょっと気分転換の運動をしたいと思います。じゃ、皆さん私の言うとおりにやってください。右手を斜めにピッピ。はい、それをね、頭のてっぺんにポン。そのまま、ぐーっとスライドしてあごの所までやってください。はい。それでは採点したいと思います。

0点、0点、0点、0点、20点、0点、0点、0点、0点、0点、0点、0点、0点、マイナス10点、30点、0点、0点、0点、0点、0点、0点、0点、0点、0点、0点、0点、90点、すごいのいたね。あっ、100点。ちょっと、あの方美しいですね、見てください。100点です。0点、0点、0点、0点。あのえんじ色の真ん中、あなたです、100点です。素晴らしいですね。0点、0点、0点、0点、マイナス10点、0点、0点、0点、0点。下山さん0点、0点、0点。はい、覚えちゃったからね、ごめんね。すいません、0点だからいいです、ありがとうございます。

 多くの方が0点って言われて。なぜ0点か分かりました? 思い出してください。右手を斜めにピッてやって頭のてっぺんにポンってやって、グーッとスライドして、私手をあごのところまでやってくださいってお願いしました。あごはここです。ほっぺで止めてましたよ、皆さん。なんでほっぺで止めたの? 私がほっぺで止めたからですね。私のせいでした。そう、今皆さん引っ掛けられたんです。

 ちょっと大げさに言うとね、今皆さんは視覚情報と聴覚情報が矛盾した状態に置かれました。私は口では手をあごの所って言ったくせにほっぺで止めて見せたでしょ。何が起きましたか? ほとんどの人は見たほうを優先するんです、こういうとき。それほど視覚情報というのは脳をわしづかみにするといわれています。何でも見せちゃうと、やっぱりそれが印象として残るんですね。見るということ、見せるということがいかに大事かということでちょっと体験していただきました。ぜひ皆さんも、どっかで人を引っ掛けてみてください。

 1つだけ、これをどこでやっていただいても構いませんが注意事項がありまして。私、1回だけこのゲームで大失敗したことあるんですよ。今から7~8年前ね、日本歯科大学新潟病院ってとこで講演したんですよ。で、聞いてた人は全員歯医者さん100人、100人の歯医者さんの前でこれやったんですよ。そしたらね、歯医者さんの世界はここからここまで全部あごって呼ぶんですよ。だから、「ここ、あごですよ」って言われてゲームが成り立たなくてすごく恥ずかしかった。あれはトラウマになっています。皆さんも歯医者さん以外でやってみてください。はい、よろしいですね。ビジュアルの話でした。

 さて、ここまでずっとコミュニケーションの話をしてきましたけど、最後の30分は親子のコミュニケーションみたいのをちょっと考えてみたいと思います。私、実は皆さんより若干先輩かな。上の子は今26歳。横浜南税務署で税金の取り立てをする仕事をしています。下の子は少し離れていまして神奈川県立茅ケ崎北陵高校の3年生ということで、まあ一応親もやってます。皆さん、先輩面する気はないし、いい勝負かもしれないけど、まあそんな感じの親でもあります。それから、その子どもが大きくなった大学生といつも触れ合っているので、ちょっとそういう観点から最近の子どもや若者への傾向と対策というお話をします。

 まず、一つ言えるのは、子どもっていうのは基本的に大人の答えを求めているものなんです。中学生になって反抗してやたら話を聞かないとか。もう高校になったんで、この子全部親に何の相談もしないで決めてるって、皆さんから見るとそう見えたとしてもですよ、子どものほうからすると親はどう思っているのかとか、これはお母さん反対するかなとか、そういうこと常に考えています。

 私、実はね、NTTに勤務して、東京工芸大学行く前にちょっとだけ短い期間なんですけど。これ、神奈川県の人しか分かんないかもしれないけど、STEPっていう学習塾があるんですよ、大きな。で、そこの先生をやってたのね、しばらくね。で、そのSTEPの先生時代に子どもたちがよく言った言葉、「答えはどっちですか」。答えをすごく知りたがるのね。考えさせようと思って何かやると、先に答え教えてくれみたいな、これもよくありました。

 それからね、「それって強制ですか?」。これ中学生の得意な言葉で、何か言うとね、「先生、それって強制ですか?」みたいな。強制するつもりはないから、嫌だったら来なくていいみたいな。よくそんなことを言っていましたけど、こういう話が出てくるのは、先生はどういう気持ちでいるのかとか、親はどういう考えなのかっていうのを知りたい証なんですよ。つまり、逆に言うと、ある意味親の答えを求めているという部分があるということですね。ですので、親としては、これはよし、あれは駄目ってはっきり言うことはやはり基本的に大切です。

 で、多くのご両親は小学校の頃はそういうふうにしているんですけど、だんだん中学高校になってくると子どもなんかあんまり言うこと聞かないし、言っても響かないので、もうあんまり口うるさく言うのもどうかなあっていうふうになるんですけれども。私はやっぱり親の好き嫌いとかは言ってもいいと思うんですね、俺はこう思うよと、別に。もちろん時には子ども自身に考えさせる機会も意図的に作るっていうのも大事なんですけど、まあ、いい悪いはっきりさせるのがいいんじゃないかなと思いました。

 ずっとドイツに暮らした人から聞いた話で面白かったのはね、ドイツのお母さんの子育てっていうのは考えさせるんだって。例えば小さい3歳か4歳の子どもが「お母さんアイス買って」って言うとね、ドイツ人のお母さんは「今あなたが何でそんなにアイス食べたいのかちゃんと論理的に説明してごらん」、3歳に言うんだって。嫌なお母さんですよね、アイスやれよみたいな感じだけど、なんかとにかく自分で考えることが大事、ヨーロッパの一部の国にはそういうことが何よりも大事っていうのがあるので、まあそんなこともある。でも、私は結構、自分のときもそうでしたけど、親っていうのは、やっぱりこれはいいとかあれは駄目とか言う存在であってほしいなと思っています。

 その次です。最近の若者の傾向の2つ目、周囲と調和したいという意識が非常に強くなっています。まあこれ、同調圧力といわれているんですが、周りの人とうまくやっていくっていうことがすごく重要になっていますね、今の若者の価値観で。で、これ有名なんでほとんどの人知ってると思うのですけど、ある国立大学のトイレにこんな注意事項が。「トイレで食事をしないこと」。皆さん、トイレで食事する趣味あります? 私はないんですけど、どうしてこの某国立大学、録音してませんね、京都大学ですけどね。どうしてだと思います? これ別に京大だけじゃないんですけれども、「この便所飯」っていうのがはやった理由は、例えばじゃあこの仲良し3人組の大学生がいたとしてですよ、いつも同じ授業を受けて仲良しなんだけれども、今日は2人ちょっと風邪で休んじゃったと、あなた1人です。それで、真面目だから授業は1人で受けられるんだけど、お昼休みに学生食堂で1人でぽつんってご飯を食べている姿を周りの人から見られることがとても苦痛なんですね、今の若者。「あっ、あの子友達いないのかな」みたいな。それがとても苦痛だから、その惨めな姿を見られるぐらいだったらトイレで食べたほうがましなんです。それが今の若者の割と一つの典型的な発想です。

 大学もね、オリエンテーション期間が一番緊張感があるのです。なぜか分かります? こっち側としてはね、履修登録があるよ、大学は高校とは違うよ、一生懸命もちろん教えます。でも彼らが気にしているのはそんなことじゃない、どのグループに入れるかっていうことです。この大学生活の中で、自分はどのグループに入って、どの4人組にするのか、3人なのか。大きいグループにまず一回所属するのかみたいな。で、それに入りそびれるととても学生生活がつまらなくなっちゃうんですね。それほど同調圧力というのが強い。

 よく子どもに「○○君がやったから」ってよく言うじゃないですか。「何であんたこんなことしたの」って言ったら、「いや、何とか君もやってるし」みたいな。で、「じゃあ、あんた○○君が死んだらあんたも死ぬの?」とかそういうつまんないこと言わないで、合わせたい気持ちっていうのを理解してあげてください。今の同調圧力はすごく強いのです。周囲と仲良くしたい。そこで、学校もずっとそういうふうに教えています。友達が大事だよ、一生の友達、コミュニケーションが大事って言い過ぎるとやっぱり、そこから逸脱するととても学校にいづらくなっちゃう人がでてきます。

 やっぱり私たちはどこかで子どもたちに自分だけが違っても構わないということを保障してあげる必要がある。それを保障できるのは親だけです。大学にもやっぱりちょっとぽつんと1人でいる子がいて、そういう子のフォローは大学側でもよくしていますけれども、親子関係が良好な子は耐えられるのですね、やっぱりね。「僕あんまり友達いないんで」って自分で言えるような子は平気なのです。で、その話聞くと、やっぱりご家庭はちゃんとしていて、で、それでもう大丈夫だと。一方で、そうじゃないとやっぱり厳しいということで、現在の若者の周囲と調和したい、友達がいないのは困る、友達がいないこと自体はとても恥ずかしいこと、つらいことっていうような風潮があるので、別に友達がいなくても人間は生きていけるっていうことを教える、時には教える。それができるのは親だけなんじゃないかなって私は思っています。

 3番目の傾向、自分の自由が担保されないと不満。これ大人も同じです。こんな言葉聞いたことありますか。リアクタンス効果。リアクタンス効果というのはですね、人間は何事も自分のペースで、自分の自由意思で物事を決めていきたいっていうふうに感じているものなんですね。だから、自分以外の人のペースで物事が順調に進むと、ちょっと軽い反発を感じるものなのです。

 例えば、皆さん聞いたことありません? 業界の方いらっしゃるかもしれないけど、自動車とか保険とかトップセールスの人っているじゃないですか。社長より稼ぐカリスマセールスマンとかいるじゃないですか。ああいう人たちは、話があんまり、しゃべりが上手じゃないんだってね。しゃべりが上手過ぎるとね、物は売れないんですって。何となく話がうま過ぎるような感じがして、全然ミスのない説明とかだとかえって人の購買意欲は失せるといわれています。ちょっとトロいぐらいの人のが「もうあんたしょうがないから買ってやるよ、今回は」みたいな、なりがちです。これもリアクタンス効果です。

 子どもの教育に関して言えば、ちょうど今から勉強しようと思った瞬間に、母親から「早く宿題やりなさい」って言われてやる気がなくなった。これ、私たち自身もありません? 僕もありましたよ。中学の時とか、定期試験の前なのにテレビ見ちゃってね、ああ、自分でもヤバいと思って教科書を開いた瞬間におばあちゃんから「勉強しな」って言われて、なんかむしろ閉じるみたいな。われわれは自分でやりたいんですね。

 わが家はあまり家計に余裕がありませんので、ずっと塾とか行かせたことがなくて、全部家内が勉強を教えているんですけれども。親子だと、やっぱりこう、すごいやりにくいんですね。反発もするし。そこで、うちの奥さんはですね、息子にも娘にも、よく毎日こう言ってましたね、「今日は何時から勉強にする?」って言ってた。これは何時から勉強してもあなたの自由だっていうことです。それはあなたが決めていい。先にテレビだけは見なさい、先にやっちゃいたければやりなさいと。だけど、勉強しないっていう自由はないんだけどね。勉強はするんですけれども、何時からするかをあなたが決めていいっていうことにして、何もかもお膳立てするとリアクタンス効果が生まれちゃうので、ある程度子どもに決めさせるっていうようなことが、うまくやっていく方法なのかなと思っております。

 今度は子どもの可能性を伸ばすというお話で、何が子どもを動かすのか。有名なアブラハム・マズローという人の欲求5段階説は非常に有名なので、もしかしたら皆さんご存じの方もいるかもしれません。アブラハム・マズローによると、人間の欲求っていうのは5段階になっている。そして、このピラミッドの下のほうの欲求が満たされないと、上のほうの欲求は生まれない。一番下は生理的欲求ですね。私たちの欲求の一番ベースにあるのは生理的欲求。

 例えば、水分が不足すると喉が渇きます。水を飲みたくなりますね。あと、お手洗い行きたくなりますね。生理的欲求です。おなかがすいたらご飯が食べたい、体が疲れてるときは眠りたい。食べたい、飲みたい、出したい、眠りたい、みたいのが生理的欲求です。で、この欲求が満たされないと私たちはそれより上の欲求は感じないんです。

 例えば、おなかがすいてまさに死にそうなときに、あんまり原発の問題とか考えないんですよ。高級なことは考えないんですね。やっぱりまず、おなかがすいて死にそうなときはいかにご飯を食べるかが重要でしょ。で、そのおなかが満たされたら人間は何を感じるかというと、「ああ、ご飯が食べられて良かった」、その後に感じるのは「明日も食べられるといいな。毎日ご飯のことで悩まないような生活がしたいなあ」っていう欲求が生まれて、それが安全の欲求だと。

 で、衣食足りて安全に暮らせるっていう感覚が持てると、社会的に人とうまくやっていきたいとか、自分が評価されたいとか、自分らしい仕事がしたいとか、そういったことになってくる。だから私はね、よく大学生が就職の活動なんかでね、相談に来るんです。「先生、僕、自己実現したいんですけど、そのためのどんな仕事が向いてるかが分かんなくて」とか言うとね、私はあきれかえって言います。「君は幸せなんだね。生活の不安も何もなくて、友達ともうまくいっていて人からも評価されているから自己実現って言えるんだよ。

この辺が全部満たされてる証拠だよ」ってまず言ってあげて、「自分が幸せだっていうことに気付いてる?」っていうような話をしてから、まあ自己実現の話をするんですけれども。今はだからこういう話が出てくること自体が、だいぶいい時代なのかもしれません。もう一度確認すると、低次欲求が充足されて高次欲求が生まれるということですね。

 で、これ例えば小中学校、高校でもそうですけれども、こっから下は家庭の仕事です。子どもたちが毎日ご飯が食べられて、安定した生活が送れるっていうのを保障するのは家庭の役割で、クラスで楽しくやるとか、いろんな行事を通じて自己実現するなんていうのは学校の役割かなと思います。

 もう一度確認すると、例えば学校でいじめに遭っていて、安全欲求が阻害されている子どもに対して、「頑張って学級委員になれ」とか言っても無理だっていうことです。そんな気持ちは起きない。今はいじめられないようにするにはってことしか考えられないから。下から順番に満たしていくしかないということをマズローの欲求段階説は教えてくれます。

 ポジティブな雰囲気作りが大切ということで、自信を生み出す唯一の要素、自信はどっから生まれるかというと、やはり小さな成功体験を積み重ねることからしか自信は生まれません。それ以外の方法で自信を生み出そうとすると、何か変な薬とかをやんなきゃいけなくなっちゃいます。そういう薬とかに頼らずに自信を持つためには、やっぱり小さくてもいいから、ちょっとずつ上手くいったな。それが蓄積されてくると、人間は自信が生まれます。で、褒めてあげると効果が生まれるっていうピグマリオン効果というのもよく言われています。

 そこで、ピグマリオン効果は実はあんまり、有名だけど元の実験がちょっと怪しいので、僕が今日、強調したいのは、なぜポジティブな雰囲気作りが大切なのか。家庭内でも親子の会話でも。それは認知的不協和っていう言葉があるんです。これ心理学の言葉です。これどういう意味かというと、人間は自分の中に矛盾する認知を同時に抱えた状態のことを認知的不協和といいます。で、人はその状態を不愉快に感じるんですね。そこで、その矛盾を解消しようとして認知をねじ曲げちゃうんです。

 例えば、タバコをやめられないっていう大人がいたとします、いいですか、でもタバコは体に悪いっていうのも広く知られています。タバコは体に良くないという認知と自分はやめられないという認知は矛盾します。体に良くないのにやっていることになるから。そこで、この状態が不快なので、そういう人はどう考えるかというと、「いや、タバコ吸っても長生きする人はいるよね」みたいなことになる。話をねじ曲げているんですよ、これは。

 他にどんなのがあるかっていうと、ちょっと待ってください。高校生がね、最初、どこどこ大学の何とか勉強したいって言ったのだけど、どうも旗色が悪くなってきて、志望校に届きそうもない。志望校に届きそうもないので、今から3倍勉強して頑張るってなってくれればいいのだけど、多くの場合はそうならずに「もともとそれ程行きたい大学でもなかったし」みたいな。「俺、そんなにこだわっていたわけじゃないから、お母さん」みたいな。これもねじ曲げているのですよ。行きたかったはずだったんだけど、行けそうもないって分かると、行けるように頑張るっていうふうに変えればいいんだけど、そうじゃない、ねじ曲げる方向でやっちゃうから、人間は基本的に逆境に弱いんです。マイナスのほうになったときに、認知的不協和を解消しようとして認知を曲げてしまうから、そうならないように、今いい線いってるっていうふうにやっぱり雰囲気を作ったほうが力は出しやすい。よろしいですかね。

 何事もポジティブにっていうのは、いろんな人が言いますけれども、あえて根拠付けすると認知的不協和で認知がねじ曲げられてしまうのは良くないので、ポジティブにしてくださいということです。

 失敗体験が子どもを成長させる。これは「万能感」っていう言葉がありまして。万能感というのは、小さな子どもはみんな持ってます。みんな持ってます。例えば小学校1年生の子どもに対してクラスの担任が、「君たちは将来何になりたいの?」って聞いたらみんな好きなこと言うでしょ。ね、「お花屋さん」「総理大臣」「サッカー選手」「歌手」「タレント」「漫画家」「団子屋さん」、ね、好きなのを言います。なれる、なれない、なんて考えません、子どもは。小さな子どもは、「自分はその気になれば何でもできる」と思っているんです。ところが、だんだんそうじゃないっていうことが分かってきます。それが万能感の崩壊です。

 私も子どもの頃は何でもできると思っていましたが、だんだん「あっ、スポーツはできないな」とか「勉強なら負けないぞ」と思ってましたけど、高校入った辺りからだいぶ旗色が悪くなって、「ああ、理系は得意じゃないな」みたいな。今でもね、私忘れないんですけど、一番最初の高校の物理の授業でね、物理の先生がこう言ったんです「いいかい、君たち、物理が一番簡単なんだよ。本当に覚えることは少ない。ちょっとしたルールを適用すると何でも解けちゃう。物理ほど簡単な勉強はないんだよ」って。一瞬その気になった自分がばかでしたよ、ほんとに。あの先生だけは今でも絶対許さないですけどね、私はね。っていうぐらい。僕は、途中で理系は駄目だなって思いました。

 でも、これはできないっていう感覚が大事で、自分には「できること」と「できないこと」があるっていうのを少しずつ見極めていかないと。例えば30歳になって、「自分は何でもできそう」って思うとどうなるか知ってます? これやばいんです。これフリーターになるんですよ。30歳になって、自分はその気になれば何でもできそうだなって思ってる人は、それはもう頭が子どもですからフリーターになっちゃうんです。で、チャンスがあればいろんなことに挑戦したいって言っているうちに40歳になります。

 今、ほんとに多いんですよ。取りあえず、いい大学出てみたんだけど、さて自分が何をすべきなのか。それは何でもできそうな気がするから迷うんです。実は大してできないんです。できることとできないことを仕分けること、それがとても大事です。なぜこれを強調するかというと、私はこの分かれ目は高等学校だと思うからです。大体中学校は全部の科目頑張って勉強しないと、高校入試うまくいきませんよね。だけど、高校になって、やっぱり急に勉強が難しくなった感じがして、自分はこういうのは得意じゃないな、こっちだと興味が維持できるな。そうやってできることとできないことを仕分けする時期に入っているので、まあそこをよく見守ってあげて。なんか何でもいつまでもできそうな優秀な子だと逆に心配です。万能感が崩壊するのは、子どもが大人になる重要なプロセスだということです。

 残り10分ほどになりました。最後まとめさせていただきます。親子のコミュニケーションということで、皆さんの参考になるかどうか分かりませんけど、私が自分が子どもの頃ですね、親とどんな会話をしたかっていうのをちょっと思い出したいんですが。私、おばあちゃんに育てられました。私のおばあちゃんですから明治生まれです。で、明治生まれのおばあちゃん、いっぱい思い出があるんですけれども、一番印象に残ってるのは、あの時代の人はやっぱり、先生とかお医者さんとか警察官とか、そういうものに対しての尊敬が半端ないね。先生さまって言ってましたよ。先生さまに手紙書くからとか言ってたね。そういう人だったので、おばあちゃん大変優しかったんですけれども、ある事をしたときだけ、ひどく怒られました。それは僕が先生の悪口を言ったときです。

 僕は小学校1年生と2年生の担任になついていて、3年の時の先生がいまいち合わなかったので、よく「なんとか先生が嫌だ」とか言うと、めちゃめちゃ怒られました。「先生が間違うはずがない。先生が間違うはずがない」って言いましたね。それで、僕はそういうふうにずっとしつけられたので、その後ずっと、やっぱり先生は尊敬すべきものだと思ってきたんですよ。で、それは僕の人生でやっぱりすごく得をしました。だって尊敬が顔に出るから、先生もかわいいじゃないですか。損なこと一つもないですよ。皆さんもぜひ先生の悪口言うのやめてくださいね、子どもの前で。PTAの中でこっそり言うのはまだしも、お子さんの前では先生は基本的に正しい、先生は絶対間違えないっていうおばあちゃんの教えは結構僕にとっては良いものだったということがいえます。

 母の言葉。さっきちょっとフライング出ましたけど、こんな顔ね。ちょっと演歌歌手の大月みやこさんとよく間違えられます。小山明子っていうんですけど。母の言葉で今でも一生忘れられない言葉があって、今から10年ぐらい前に『週刊朝日』という雑誌で、僕と母が対談したんですね、「親子と形」っていうコーナーがあって。その時まだ父が生きてたので、親子の形で息子と対談してんのに、お母さん夫の介護の話ばっかしたくて、お父さんがどうのこうのとかね。あんまり子どもに興味ない人なので。それで、対談が終わって僕がお母さんに「今日は親子の形っていう連載なんだけど、あんまり親子の話でなかったね」って言ったら母が「あんたを育てた覚えもないしね」って言ったんです。

ひどくない? 実の母親にこれ言われて、よく僕ここまで頑張っていると思いませんか、皆さん。かわいそ過ぎませんか、もう。そんな母の愛情を知らない哀れな男だと思っていただければいいと思うんですが。これはこれでなかなか味のある言葉なんで、これを言える人はやっぱり世の中になかなかいないと思うんですよ。

 3番目、父の言葉ですね。父こんな顔ですね、懐かしいです。で、たぶん皆さんは世代的に小さな子どもの頃、この人よくテレビに出てたっていうようなイメージだと思うんですよ。で、すごく父がテレビに出ていたのは1980年代で、僕は皆さんよりちょっと、まあ大学生ぐらいだったんですね。で、それこそ、みのもんたの番組とか『朝まで生テレビ』とか『ボキャブラ天国』とか『スーパーワイド』とか『やじうまなんとか』とか、もうめっちゃめちゃ出てました。で、それで私は当時大学生でしたから、父にね、「お父さん映画監督なんだから、あんまりくだらないテレビには出なくていいんじゃないの」って言ったんですよ。そしたら父が、「お前ね、仕事断って次来なくなったらどうすんの?」って言ったんですよ。私はこの言葉に衝撃を受けました。だって、僕生まれた頃から大島渚の息子って言われてきて、お父さん超有名でスーパースターだと思ってるわけですよ。その超有名人のお父さんが、仕事を一回断って次来なくなることを恐れているっていうのは、私には衝撃でした。絶対フリーでなるまいって思っていました、今でも。今でも思ってますけど。その時やっぱり自分はちゃんと勤めなきゃ駄目だなと思いました。今でも結構、講演とか呼ばれること増えてきたけど、別に教育評論家になろうとかそんなうぬぼれたことは一切。もう東京工芸大学一筋。もう、うちの息子も公務員だから、税務署だから。もうなんかそのDNAがすごく伝わって安定志向になっちゃったんですけどね。

 たぶん父はね、これわざと言ったと思うんです。僕があんまり才能ないのを知ってたので、例えば芸能界に行きたいとかね、何か映画の仕事したいとか言うと、たぶん絶対本人が苦しむと思ったから、たぶんそういう意味で言ったと思うんですよ。だから、僕の弟には言っていないんです。僕の弟は今、『情熱大陸』とか撮ってる映画の、テレビのディレクターなんですが、結構、中小企業の社長だから生活大変そうですよ。僕はやっぱこっちの道で良かったかなってちょっと思ってんだけど。まあ、2人の子どもがいて、映画や理想りそうのはのは下のほうだなって、たぶんお父さんなりに思って、一度もやめとけとは言われなかったけど、そういう意味の言葉だったのかなというふうに思っています。

 父で思い出すのは、やはり常にポリシーを継続していたこと。いつも同じことを言っていました。良い意味での頑固さが大切なのかなと思います。例えばさっき、おばあちゃんに育てられたって言うと、おばあちゃんは年寄りなので、いつも同じこと言ってました、僕に。で、その時僕はもう中学ぐらいになると、「もう、うるさいな、おばあちゃん、いつも同じこと言って」って思ったんだけど、この年になってみると、「ああ、おばあちゃんがああ言ってたな」ってやっぱり覚えてんですね。その時、分かりましたなんて一言も言ってないんですよ。聞いてなかったと思います、ろくに。だけどやっぱりおばあちゃんがいつも同じこと言ってたから、それが染み込んでる。親はやっぱり子どもに同じ説教を何回してもいいんだなって思います。お母さん妙にあれにこだわってたよなって子どもがいつか年取った時に気付くような、そういったことも大事なんじゃないかなと思っています。

 今日はまあ前半がコミュニケーションの話で最後親子の話になりましたが、こんな本を出しておりましてですね、後ほどそちらのロビーでちょっと販売をしたいと思っておりまして。今日は、普段は気が向いたら寄ってくださいみたいに言うんですけど、実は今日はちょっと特殊な事情があって、本の販売に私の奥さんがわざわざ来てくれて、私も初めてなんですよ。それで、あまりにも売れないとちょっと僕も男のメンツがあるんで、ちょっとでもいいから顔出していただけるとね、うれしいかなと思っております。

 最後が本の宣伝だとちょっと流石に拙いので、最後もう1つだけお話して終わらせていただきます。アリストテレスの話し方3要件。アリストテレスは古代ギリシャの哲学者です。皆さん、ソクラテス、プラトン、アリストテレスなんてね、勉強されたと思うんですが、アリストテレスはその中で、もちろん一番弟分というか、ソクラテスの弟子のまた弟子ですが、実は非常に学問的な守備範囲の広い人です。

現在、私たちが学ぶ文科系、特に文科系の学問。哲学はもちろん、法学も論理学も倫理学も社会学も、広く取れば心理学すら。本はといえばアリストテレスだよねっていうぐらい広いんです。その古代のマルチ人間のアリストテレスは弁論術という本を書いていて、その中で人の心を動かす3つの要素を指摘しています。

 1つ目はロゴス。論理的に正しい話をしてるかどうか、英語でいえばロジックですね。でも、私たちはよく人と会話をしてるときに、「そりゃ理屈はそうかもしんないけどさ」っていうことあります。論理的には認めるけど、私のハート的にちょっと嫌なんだよねっていうこと世の中にあります。アリストテレスはちゃんとこれも言っていて、そういうのをパトスと呼ぼうと。

 パトスとは英語でいえばパッション。熱意を持ってお互いに分かり合おうとする心の通い合いが必要だと言いました。論理的に正しい話をして心の通い合いがあれば、人の心は動くでしょうと。皆さん、こんなことありません? 同じことを同じように言うんだけど、Aさんが言うと「なるほど」って思うんだけど、Bさんが言うと「ちょっとね」みたいな。これをアリストテレスはエートスと呼びました。

 エートスは英語でいえばエシック。その人に対する全人格的な信頼感のことです。皆さんもよくありますよね、「○○さんが言うんなら、それでいいんじゃない」みたいに言われがちな人とさ、同じことを言っても「なんとかさんが言うとちょっとね」みたいな。ありますよね。誰が言うかっていうことも実はとても大事。ロゴス、パトス、エートス。2,000年前に言ったことの割には、どうでしょう、現代人の私たちが聞いても決して足したり引いたりすることがない。さすがはアリストテレスだなと思うし、まあ逆に言うとインターネットの時代、FacebookでブログでLINEでTwitterの時代になっても、人間のコミュニケーションの基本は、もともとは変わらないということも言えるかもしれません。

 ちょっと2分ほど超過してしまいましたがこれをもちまして参加型シンポジウム終わらしていただきます。どうもご静聴ありがとうございました。

葛山:大島先生、ありがとうございました。非常に参考になる話をありがとうございました。もう一度皆さん、大きな拍手をお送りください。ありがとうございます。われわれもう2,000年ぐらい前のアリストテレスが言った3つのことが非常に参考になるということは、まあそんなに人間、大して進歩はしてないなというのを、ひしひしと感じて舞台裾で聞いておりました。先生、ありがとうございました。では、この後分科会を終了という形で閉会式のほうに移らせていただきますので、本日はありがとうございます。先生、ありがとうございました。昨日全体会で、今日分科会という形でこの大会を進めさしていただいております。今のシンポジウムを終わりまして、次、閉会式を行いますので、今しばらくお待ちください。

 閉会式をさっさと終わらせてですね、外で本を売る時間をなるべくたくさんキープしようと思っております。それではこれより第63回関東地区高等学校PTA連合大会神奈川大会の閉会式を行います。それでは閉会のあいさつを群馬県連平成29年度会長、中野秀人が申し上げます。よろしくお願いいたします。

中野:皆さんお疲れさまでした。この2日間にわたる神奈川大会はいかがだったでしょうか。昨日の羽鳥さんのお話。そして本日の大島先生のお話、まあ日頃、子どもとの接し方やPTA会員同士での接し方に難しさを感じる我々としては、本当に参考になるお話を聞けたと思います。まあ本会はこの場を持って終わりになりますけれども、午後にもですね、教育視察や、また各校で観光等があるかと思いますので、最後の最後まで横浜、そして神奈川を満喫して帰っていただきたいと思います。そして最後になりましたけれども、この素晴らしい神奈川大会を作っていただきました神奈川県の皆さまには本当に感謝を申し上げたいと思います。ぜひ皆さん拍手を持って神奈川の皆さんに御礼を言いたいと思います。どうもありがとうございました。

葛山:ありがとうございました。ご参加いただきました皆さま、以上で大会の全日程終了でございます。本当にありがとうございました。これより退場していただきますけども、足元等お気をつけてお帰りください。ありがとうございました。

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